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  猫舌Part4

451: 名前:投稿日:2006/11/20(月) 10:44
よくISO9001とかISO14001とか見かけますけど、あれって一体何なんですか?

452: 名前:猫舌.投稿日:2006/11/20(月) 11:34
私はUSO800取得済みですが使い古されたギャグですね
ISO9000シリーズは品質保証の、ISO14001は環境の国際規格です。
これを取得していないと取引しないという大手企業も多いですね

453: 名前:猫舌.投稿日:2006/11/20(月) 11:37
つまり社内体制が品質保証の、または環境の国際基準、手順に合致しているか
が問題なのですがこれを調査指導するのは民間企業です。簡単に言えば自動車
免許における公安委員会指定自動車教習所であると思ってください。
勿論その内容に差があってはいけないわけですが自動車教習所がそうであるように
ISOのコンサルタント会社も指導内容に甘い辛いがあると聞きます

454: 名前:猫舌.投稿日:2006/11/20(月) 11:43
最大の問題は品質保証の考え方が国際基準と日本の慣習では差があることです。
日本人は欠陥があってはいけないと考える。品質外の商品を徹底的に潰す志向です。
あるいはPPMレベルのばらつきを潰すために不合理なコストをかけることすらあります。
しかし国際基準はパーセントとは言いませんが品質のばらつきはありえるという考えです
ではそのばらつき(品質外)が発生したときに追跡できるシステムを作ろうという事です。
その為に恐ろしく煩瑣な書類手続きが必要です。

455: 名前:猫舌.投稿日:2006/11/20(月) 11:44
尻も拭けない書類を量産しながらこれって環境的にどうよと自嘲する毎日です

456: 名前:三条河原投稿日:2006/11/20(月) 11:55
処刑場とは聞きましたが死体捨て場所とは初めて聞きました。いつの時代の話なんでしょう?
鳥辺野も河原で処刑される時代には墓地として機能していたはずですが…

457: 名前:猫舌.投稿日:2006/11/20(月) 12:04
死体捨て場は言い過ぎですね。しかし今の概念で言うところのお墓ではありえません。
骸が晒されるまま鳥に啄ばまれる有様をいまの基準で捨てられると表現したまでです。
さすがに江戸時代にはありませんでしょうが平安末期-室町期の有様は絵草紙などに見られるものです。

458: 名前:猫舌.投稿日:2006/11/20(月) 12:28
すみません。三条河原ですね。室町期足利義政の治世には飢饉で八万人の
餓死者がでて鴨の河原は骸で埋まったといいます。

459: 名前:猫舌.投稿日:2006/11/20(月) 12:35
流れと死骸、と言えば江戸時代においても水に浮かぶ骸を見つけたら流れの本流に棹で押しやるのが
作法でした(大江戸死体考 氏家 幹人)
映画の「たそがれ清兵衛」で似たシーン、川の上流から流れてきた餓死者の骸を念仏を唱えながら
流れに押しやるシーンがあって、上映当時「拾って埋葬してやれよ」という意見もありましたが、水に浮かぶ
死体、水辺、河原はもうあちらの世界なんですね。河原に捨てるのはあるしゅの墓葬かもしれません

460: 名前:三条河原投稿日:2006/11/20(月) 14:51
戦乱、飢饉の際に弔う僧も足りず埋葬する人手も足りずやむなく臨時で使われたのではないですか?
京都の都が整備され五山が置かれて仏教が広まってからは風葬は廃れたと記憶していますが?

461: 名前:猫舌.投稿日:2006/11/20(月) 15:38
仰るとおりだと思います。ですから捨て場というのは正しい言い方ではありませんが
同時に鄭重に葬られなかった時代があったという点で捨て場と表現しました。
「京都の都が整備され」以来も風葬はあります。
五山が置かれといいますが、仏教が死者そのものを扱う、というか儀式としての弔い
を扱うのは(少なくとも庶民においては)「上人」と「聖」といった念仏僧が出現以降ではないでしょうか。

462: 名前:三条河原投稿日:2006/11/20(月) 16:01
ならば先の大戦で多数の死者を出し、河原や海岸を死体安置所に使われたものについても同じことが言えるわけですね?
では日本の「最大の死体捨て場」は長崎、広島なんですかね?

463: 名前:猫舌.投稿日:2006/11/20(月) 16:03
そんな言い方がお好きなら止めませんが。

464: 名前:三条河原投稿日:2006/11/20(月) 16:10
???
そういう表現をなさったのは猫舌さんではありませんか(笑)
埋葬したくてもそれが叶わず衛生面からも一ヶ所に死体をまとめた事に変わりはないですよね?
それをカップルの尻の下は最大の死体捨て場だと面白がってなかったですか?

465: 名前:猫舌.投稿日:2006/11/20(月) 16:10
繰り返し言いますが恐らく室町期までの庶民の遺体は「取り捨て」られたのです。
特に飢饉の時などは言うまでもなかったでしょう

あなたが広島長崎の被爆者遺体も取り捨てられたのでありそこは死体捨て場かと
仰るのは私の関知するところではありませんが、あなたの自由です。

466: 名前:三条河原投稿日:2006/11/20(月) 16:19
嫌だなあ…
悪意の押し付けですか?(笑)
取り捨てたとおっしゃいますが、一人一人は埋葬できなくてもその惨状を目にして弔いの念を持つ僧侶もいたでしょう?
余裕のない人々をさも命(死)を尊重しない風潮の時代に生きていたかのように言うのはおかしいと思っただけなんですけどね。

467: 名前:三条河原投稿日:2006/11/20(月) 16:36
鳥辺野が京都で最大の死体遺棄の場所であったのは事実でしょう。
しかしそれは、それが弔いの習慣であっただけで取り捨てとは違うと思います。
現に清水の非人と呼ばれる者が埋葬(遺棄?)の手伝いをしており、勝手に捨てていたわけではありません。

しかも、それと三条河原に死体を安置(放置)したのとは主旨が全然違うのではないでしょうか?

468: 名前:猫舌.投稿日:2006/11/20(月) 16:47
何も押し付けていません。あなたの自由だと言っています。
室町時代の、または飢餓の中の庶民の死生観について今知る術は少ないですが
あなたもいうように
>余裕のない人々をさも命(死)を尊重しない風潮の時代に生きていた
かも知れません。
朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり は有名な蓮如の白骨の御文章ですが
私は現代的基準で過去の現実を描写したまでであって現代の基準で過去の価値観を
批判批評したわけではありません。このあたり誤解の無きよう願います。

469: 名前:猫舌.投稿日:2006/11/20(月) 16:49
ああなるほど。鴨の河原に遺棄された骸より鳥辺野に風葬された骸のほうが
鄭重に扱われたというのなら同意します

470: 名前:三条河原投稿日:2006/11/20(月) 17:00
では何故
死を尊重しない時代だったとするならば、親鸞のような人物が現れ生前の業を問わず誰でも念仏を唱えるだけで浄土へ逝けるという教義が爆発的に広まったのでしょうか?
遺体を【おそらく取り捨てていたであろう】人間が必要とすることなのでしょうか?

471: 名前:三条河原投稿日:2006/11/20(月) 17:04
何回か読み直してみたのですが、「取り捨て」るのは遺体そのものであって信仰心や死への尊厳とは別だということでしょうか?
どうやら言葉だけに固執していたようです。
ダラダラとすいませんでした。

472: 名前:投稿日:2006/11/20(月) 17:17
ほんまじゃ!
ヘリクツニートが偉そうに語んなや!
オマエごときが猫舌さんとやりあうなんて一万年早いわ(笑)

473: 名前:猫舌.投稿日:2006/11/20(月) 17:40
死。というものが隣り合わせに。それこそ戸口の外に白骨が転がっている世の中だからこそ
後生について、この世の辛苦を越えた後生について願ったのではないでしょうか。
私は親鸞の深遠な思想について知るところは少ないですがこんな私に親切に解説してくださる
先達もいらして、弥陀の本願とは、阿弥陀様は本来お葬式の仏様で、阿弥陀様が必ず結縁くださる
というのは人は必ず死ぬのだよと言っているに過ぎないと教えてもらいました。

474: 名前:猫舌.投稿日:2006/11/20(月) 17:44
それはともかく、墓をつくり拝むのは、骨を拝むのはどうやら儒礼では無いかと思います。
仏教的死生観においては骸はむしろ物体なのではないか。
私の若い頃インドに旅することが流行りましたがベナレスの河原で焼かれる骸、骸を焼く薪代
がなくて骸の傍に置かれた喜捨箱。またはそのまま流れる骸について友人から聞かされました。
有名な写真で藤原新也の「犬に食われる死体」もあります。

私もネパールを旅して何度もそのような風景。河原に積み上げられた薪のなかで焼かれていく骸を
何度と無くみました。

475: 名前:三条河原投稿日:2006/11/20(月) 20:32
浄土真宗は死に逝く人に対して安堵感を与える意味が大きいように思いますね。
この世を穢土と呼び死後の世界は浄土と呼ぶ。
善人の受難を理解させるための方便が後には人間兵器のような使われ方をし信長さえも驚愕させたのは親鸞の思いもよらないことでしょうけどね。
おっしゃるように日本の仏教は本来の仏教とはかなり違うものですね。
魂と魄がごっちゃになり儒教の要素も加わり信者は現世利益を求め宗教家もまた権力と利益を求める機関になった感は否めません。
私もインド、ネパールを旅して淡々と死体が焼かれるのを見ましたが仏教がヒンドゥーに呑み込まれたのが解ったような気がしました。
さすがに死者の家に足を踏み入れる勇気はありませんでたが・・・

476: 名前:猫舌さんへ投稿日:2006/11/20(月) 20:51
京都の地名で、朱雀院とか、四条後院の区別がよく、わかりません。「院」と「後院」は、どちらが、上の場所なのですか?

477: 名前:投稿日:2006/11/20(月) 21:52
昔はよかったですね。 僕は願わくば、かつてのように死後抜け殻となった自分の屍は野に返したいと思うんです。土に帰りそれが花や虫や動物の肥やしとなれば、自分という物体もまた自然の摂理に叶えられるから…寒々しいコンクリートの火葬場では数時間で骨になるんだけれど…人間なんて所詮大した生き物じゃないですよ。

478: 名前:猫舌.投稿日:2006/11/20(月) 22:41
御院は上皇の御所ですよね。朱雀院も四条後院も同じ機能ではないですか。
すみませんよく知りません。

479: 名前:猫舌.投稿日:2006/11/20(月) 22:44
人間は大したイキモノだと思いますよ。ただ死体は物体です。エネルギー使って灰にする
必要はあるのかと思いますが如何せん量が多いですよね。

480: 名前:投稿日:2006/11/20(月) 23:27
死体は物体ならあんたの家族の遺体をなにされても文句ないか?
物体にも愛着とかこじつけはやめてや。


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