五條楽園って其の弐 |
- 207: 名前:T2投稿日:2002/08/25(日) 01:38
- 今里Xさん、はじめまして。
ご承知のように、五花街はいずれも「芸妓の街」でありますし、島原は日本最古の公許遊廓として
京の全遊廓を統轄する立場にあったことや、そこから生まれた島原俳壇など多くの文化的貢献を
もたらしたことが評価されているのでしょう。祇園や宮川町も、島原側から見ればみんな「新地」であり、
京の都における花街文化の今昔として、下ネタ抜きで論じることができますしね。
五條楽園(五條橋下・六條新地・七條新地)にも、芸妓はいなくはなかったのですが、一人減り二人減り、
結局昭和にはいって間もなく誰もいなくなってしまい、以降は娼妓のみの街となったことから、まあ
教科書だとか、普通の書籍にはまず載せられないんでしょうね。よくて別冊宝島でしょうか(苦笑)
いわゆる色街としては、ひところ吉原に次ぐ規模を誇っていたほどの街だけに、このまま街のエントロピーが
じりじりと増大していくのを見るのは、正直つらいものがあります。
柳並木と ぼんぼりが ほのかに浮かぶ 恋のみち、 とうたわれる五條小唄についてですが、私の持っている
資料のうちの一冊に、部分的に紹介されていただけで、全部の歌詞は載っておりませんでした。
(「京の花街」渡会恵介著、大陸書房、昭和52年)
お茶屋組合などでは、保存していないのでしょうかね。
街の歩みを後世に伝える資料の収集保存についても、真面目に考える時期に来ているように思います。
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